※パウル・クレー「消される」1933年 31.5×24㎝
パウル・クレー(1879~1940)は、1933年4月21日にナチスによって停職を余儀なくされ、デュッセルドルフ美術アカデミーのリストから「消される」ことになりました。
クレーはスイス人の母親とドイツ人の父親の間に生まれ、国籍は父親の関係でドイツとなります。
悪名高いナチスは、近代美術を退廃したものとして、代わりにロマン主義的写実主義に即した英雄的な芸術、より分かりやすく因習的なスタイルの芸術を推奨したのでした。
当時のドイツ国民の集合意識はヒットラーとナチスを支持していました。
国全体がそうした意識の雲に覆われた状況で、ナチスの意図に沿わないクレーの芸術表現はもちろんのこと、「民族的偏見を否定」するという自らの信念を貫き通したクレーの勇気ある態度は、まさに「命がけ」でした。
現在も、真実を告発しようとして、闇に隠れた権力者から有形無形に「消されている」人物がいますが、公然とアウシュビッツを行ったナチスに対立するクレーの勇気は並大抵のことでありません。
●生き様があらわれる絵画
今回紹介したパウル・クレーの言葉は、いかにも画家の箴言といったものではなく、人間の本性からの「生き方」を示す言葉のように見えます。
しかし、こうしたクレーの生き方を支える意志は、究極的に真の芸術家がすべからく備えていなければならない天稟のようなものです。
芸術作品としての絵画が生まれるにあたって、特にクレーのような画家の作品においては、作家の内面が色濃く反映します。
「内面があらわれる」ということは、たとえそれがスケッチを基本とした写実的な作品であったとしても同様です。
同等のスキルを持った10人が絵を描こうとして、描こうとする対象の描写に徹したとしても、出来上がった作品の味わいは10人とも微妙に違ってきます。
写真でさえそうです。
そこから言えることは、芸術作品における個性とは、一つには、作家が辿ってきた人生という歴史に秘められた情緒が自然ににじみ出てきたものだということです。
●あからさまな芸術作品
もし意識的に嘘をつくとしたら、それは自分を欺くことです。
「嘘も方便」という言葉が示すように、嘘をつくときは誰にでも理由があるでしょう。
嘘によってその場を丸く治める、嘘を言って商売がうまくいくようにする、相手を傷つけないために嘘をつく、相手を貶めるために嘘をつく、等等。
しかし嘘をついて難を逃れたとしても、どこか心に痛みを残します。
世の中には平気で嘘をつく人間が(特に支配層において)たくさんいますが、芸術家においてそれは致命的です。
芸術作品は作家が自分自身を宣言した結果物で、すべからく作家にとっては自分の作品からあからさまに自分の内面が見えてしまいます。
真の芸術家は、作品という自分自身にあらわれ出た嘘を見るのは耐えられないはずです。
●贋物鑑定に見る作品のエネルギー
古美術の贋作の鑑定は、基本的には一瞬でなされます。
では、彼ら鑑定士は一瞬で何を見ているのでしょうか。
『開運!なんでも鑑定団』の中島誠之助の言葉を借りれば、それは、作品から漂う「霊性」です。中島誠之助の贋物鑑定に学ぶ
芸術の域にある作品は、如実に作者の情的エネルギーを宿し、それば「霊性」となって表われ出るのです。
贋作に宿された「人をだまそうとする」目に見えないネガティブなエネルギー、それを見分けてこそ鑑定士といえます。
●純化するエネルギー
クレーの言葉が示していることは、クレーの作品が極めてポジティブで純粋なエネルギーを宿しているということです。
芸術作品が持つ生命力は、森羅万象に啓発された作家の情的エネルギーに端を発しており、それが鑑賞者の魂に共鳴し、そこで増幅されます。
つまり、鑑賞者は魂に感じた愛と生命のよろこびに振えるのです。
クレーの言葉とその生き様が、
目に見えない波動を持ったエネルギーとして作品に顕現しているとすれば、
クレーの絵は、
間違いなく私たちの魂を純化してくれることでしょう。
「パウル・クレーおわらないアトリエ」東京国立近代美術館
(1)棟方志功
(2)アンリ・マティス「デッサン・精神的光」
(3)ポール・セザンヌ「修行僧のごとく」
(5)平野遼「本物の光」
(6)パブロ・ピカソ「虚構の中の真実」
(7)高山辰雄「いのちに触れた筆」
(8)パブロ・ピカソ箱根彫刻の森美術館から
(9)フィンセント・ファン・ゴッホ「画家の生き様」
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レンマ学(メタ数学)
「数学的なヴィジョン」もその一つか・・・
数の言葉ヒフミヨの『数学的なヴィジョン』を『創発直方体』と『創発円筒体』の『π体』の切り出しに[ヴィジョン]したい・・・
数の言葉ヒフミヨは、カタチ(〇△◇ )や言葉の点線面からの【いとまごい】と彼は、主張しているようだ・・・