もしも貴方が、絵が欲しくて、それが例えば版画だとします。作家は版画家の池田満寿夫や日本画家の平山郁夫あるいは現代アートの村上隆、どんな作家だろうとかまいませんが、当然同じ版画が複数市場に出ます。その上ただのプリントが出てきたりします。そこで知っておくべき版画の基本的な知識があるのです。
第一回目はオリジナルとエスタンプ(複製)について。
●オリジナル版画
まず、「厳密な意味でのオリジナル版画」とは、作家が自分で下絵を描き《自画》、自分で版を作り《自刻》、自分で刷った《自刷》ものです。
日本は世界的に有名な「版画家」を輩出しており、例えば棟方志功や池田満寿夫、長谷川潔などがそうです。また版画家ではなくとも日本画の加山又造や現代アートの李禹煥もオリジナルを作っており、海外の画家ではマルク・シャガールやホワン・ミロ、ジョルジュ・ルオー、ベルナール・ビュッフェなどもオリジナル版画を制作しました。
オリジナル版画を数多く制作した画家は、版画作品のみを集めたカタログ「レゾネ」が作家ごとに作られており、「レゾネ」は作品の年代や制作枚数等を調べたり真贋を鑑定したりする上での貴重な資料としてあります。
シャガールやルオーなど特定の作家の版画を専門で数多く扱っている画商は、だいたいその作家のレゾネを持っています。
※池田満寿夫のリトグラフ
※長谷川潔の銅版画
※ベルナール・ビュッフェのリトグラフ
オリジナル版画と言っても、特に版画を専門にしない「画家」が制作する場合は、「版を作る」際に版画工房の職人との共同作業で行い、「刷り」の段階では工房に任せてしまうことも多く、専門の版画家に比べて技術的には工房の職人の力に負うところが大きいようです。
また、オリジナル版画は版の上に作家が直接絵を描きます。ということは、最初の完成作品である「原画」と、それをもとに作った「版画」という二つのそっくりな作品が出来たりしません。出来上がった版画そのものが完成作品で、それを作るための「下絵」があるだけです。下絵のことを原画とは呼びません。
●エスタンプ版画
それに対してエスタンプは、語源はフランス語で「版画」という意味ですが、日本では「複製」を意味し、画家が描いた油彩画などの「原画」を元に「版画」に起こしたものを言います。エスタンプ版画は制作段階で作家の手が加わらず、版画工房のみが制作を行います。
現在の日本において、油彩画や日本画を専門とする人気作家たちは、一部には版画の味わいを求めてオリジナルの版画作品を作る作家もいますが、ほとんどが工房に任せるエスタンプの形を取っています。
※シャガールの数少ないエスタンプ版画の一つである「魔笛」(リトポスター)。
「魔笛」や「カルメン」といったシャガールのリトグラフは3000部の文字入りのポスターが作られ、200部限定で作家がサインをしてあります。(エスタンプのサインについては後述します)
ソルリエ版と呼ばれるものが代表的です。
※ソルリエ版-ムルロー工房の刷り師シャルル・ソルリエによって制作されたエスタンプリトグラフ。
上述したエスタンプである「魔笛」のリトポスターについて、シャガールの版画カタログレゾネを見ると次のように出ています。そのまま転載します。
CS38 魔笛
用紙サイズ100×66cm
ヴェラン・ダルシュ紙 番号・署名入り200部この構図は、シャガールが装置と衣裳デザインを担当したモーツアルトの「魔笛」(1967年1月19日のニューヨーク・メトロポリタン歌劇場での初演)のポスター用に使われた。
このポスターは当初、石版刷りで刷られたが、不正に同一サイズで写真製版により複製された。この詐欺的作品は収集の価値がない。
●浮世絵版画
江戸時代に、陶磁器の輸出用の包装紙として当時安価だった浮世絵版画が使われました。それを見たヨーロッパの人々はその構図などの斬新さに驚き、モネなどの印象派の画家たちが影響を受けました。ちなみにこれをジャポニズムと言います。浮世絵版画の芸術的および美術史上の価値は世界的に知れ渡っています。
※葛飾北斎「冨獄三十六景・凱風快晴」
この浮世絵版画は「絵師」と「彫り師」と「刷り師」に別れた分業作業でした。それを現代の画商のような立場の版元がプロデュースして市場に出したのです。
分業という意味からすれば浮世絵版画も厳密な意味でのオリジナルとは言いがたいところがあります。
現代においても、日本画の平山郁夫などの版画は、版画工房の職人が絵師である平山郁夫の原画から色や形を分析して版を起こし、刷りにかけますので、これは製作過程から見ればエスタンプ(複製)です。
※平山郁夫セリグラフ
※金興洙リトグラフ・シルクスクリーン・エンボス加工
●エスタンプ版画もオリジナル版画とみなす場合
しかし、こうしたエスタンプであっても、現在は、現存作家が版画を作ることに同意して描いた日本画や油彩画やドローイングなどの原画をもとに、それを作家が監修したことにして版画工房が版画を作り、出来上がったものに「エディションナンバー」と作家の「直筆のサイン」を施したものをオリジナルとみなしています。
「監修したことにして」という言葉を説明すれば、作家は試し刷りの段階で実際に色などの監修をしますが、制作現場に立ち会わなければ厳格な監修など不可能であることから「監修したことにしている」というのが現実だと思うのです。もちろんエスタンプ的なオリジナルの全てがそうだとは言いませんが。
このように版の制作から刷りまでの制作過程がほとんど工房に委ねられてしまうエスタンプ版画ですが、価値がないのかと言えば必ずしもそうではありません。
私個人においては「エスタンプは作家のエネルギーが直接的に作品に反映しないので版画芸術としては質が落ちる」と思います。しかし流通市場においては作家の直筆サインとエディションナンバーさえあればオリジナル版画とみなされてそれなりの価値を持って流通するというのが現実です。
市場の価格を左右するのは「人気作家」かどうかという要素が一番大きいわけです。時には、死後に作られ、作家直筆サインが無く、版画としてオリジナル性が全くないエスタンプ版画であっても、人気作家のものはけっこう高額でも動いているようです。
●工房の力がものを言うエスタンプ版画
写真製版やジークレー(次回で説明します)などはエスタンプを安価に制作できますが、原画の味わいを出そうとして作られたリトグラフやシルクスクリーンなどではそう簡単にいきません。
リトグラフで考えるならば、版画作品の味わいを求めて作家が直接手を下すオリジナル版画は、原画の再現ではないので1版1色からせいぜい10版10色くらいで作品として仕上げられるのに対して、日本画などを原画にしたエスタンプ版画は原画の味わいを忠実に再現しようするために、少なくとも20版20色以上を刷り合わせて作ることが多いようです。
エスタンプ版画(ここで作家直筆サインが入ったものはオリジナルとなりますが)は、いかに原画の色合いや深みに近づけるかが版画制作の目的ですので工房の職人もプライドをかけて制作します。
依頼主である画商もそうですが、作家もまたサインをする以上それなりの出来栄えを必ず求めます。
結局、原画の味わいという出来栄えを課せられたエスタンプ版画の制作は、工房が作家の手を借りずに作るので、その分いきおい版数が増え、制作費が嵩むことになります。
機械的に処理されただけで出来たエスタンプは、どんなに忠実に原画を再現しているとしても、なんとなく深みが無く無機質な感じがするものです。
「ものづくり日本」のエスタンプ版画制作の技術は世界でも最高レベルです。原画の複製再現に限界はありますが、職人魂が為そうとするのは「忠実な再現」にとどまらない、それを超えた何かなのだと思います。
ここに、芸術の妙があるのです。
次回はリトグラフや銅版画などの「版画の種類(技法)」についてです。
その次はエディションとサインです。
芸術作品とは言えないがインテリアとしての複製工芸品
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この記事へのコメント
Mr.M
折角ですので、強いて意見を言えばオリジナル版画の定義に「自分で刷る」などの項目は必要ありません。
実際に長谷川潔の優秀なマニエール・ノワール等は良品を仕上げる為に専任の刷り師と共同作業をしています。
その辺り、もう少し厳密な説明に修正されては如何でしょうか?
RYOTA
読者は上記内容を参考にしてください。