今年の初め頃、日本人の西洋画家Hに朝鮮民画が掲載された冊子を送りました。Hは東京藝術大学の油彩画を卒業、印象派的な画風で70歳になる現在も専業作家として活躍しています。
そのHが、私から送られてきた冊子を見て初めて民画というものに触れ、驚きと感動の声をあげました。
日本人で油彩風景画を専門とするHを感動させた朝鮮民画は、本国韓国でも現代作家たちに多大な影響を与えています。
民画はその起源など未だ学術的に解明されていないところがありますが、ある程度の分類に沿って、今回からシリーズでその魅力を伝えてまいります。
●柳宗悦と民芸運動
「民画」という名称は、日本人柳宗悦(やなぎ・むねよし1889~1961)が名付けました。
柳宗悦は、学習院高等科から東京帝国大学に進み、大学在学中に同人雑誌グループ白樺派に参加。直観(※注)によって、生活に即した民芸品の中に「用の美」を見出し、さらには美学的な価値付けをして「民芸運動」にまで発展させました。当時、柳の民芸運動に参画した中核的な作家としては陶芸家の浜田庄司などがいます.。
※注)直観=「一般に、判断・推理などの思惟作用の結果ではなく、精神が対象を直接に知的に把握する作用(広辞苑)」という哲学用語
また、国内外の民芸作品を蒐集し、そのコレクションを展示するための「日本民藝館」を設立(1936年)し今日まで受け継がれています。
柳が「民芸」の美を発見するにあたって多大な影響を与えた工芸品が、朝鮮の陶磁器や木器そして「民画」でした。
その柳に朝鮮陶磁や木器などの美を伝えたのは、浅川伯教・巧の兄弟です。特に弟の巧は朝鮮に移り住み、朝鮮の地をこよなく愛し、朝鮮の人々の尊敬を得て、さらには朝鮮の土となり、その墓碑は現在韓国にあります。
●民画の題材と内的効用
民画は、それが描かれた時代―朝鮮時代における支配階級であった王侯貴族から庶民に至るまで多くの人々に愛されました。
1910年代後半、当時日本の植民地であった朝鮮を旅した柳が見た「民画」は、芸術作品というよりは家々にごく自然にかけられた「実用的な絵画」でした。
人々は民画にインテリア的な効用を求めただけでなく、家庭における「教育」のため、あるいは魔を退散させ福を呼ぶという「辟邪招福」の願いをもって飾りました。
絵画の価値(5)「情操教育」病める子供たちへ
絵画の価値(7)朴芳永「精神治療か魔除けか」
題材としては「虎」「文字図」「花鳥」「風景」など多種多様にあり、安価で需要も多かったせいか全体の数量においても実に膨大な数が生産されました。
民画を描くことを職業にした絵師たちのなかに放浪画家がいます。
彼らは村々を訪ね歩いて、村人たちのリクエストに応えて同じパターンの絵を数多く描きました。
例えば子供がなかなか生まれない家では、多福多産を意味する「ざくろ」の絵を描いて飾りました。また虎の絵は「辟邪」すなわち「魔除け」です。朝鮮民画(4)「虎図」
キトラ古墳「四神図」古代絵師の力量
つまり民画を家に飾る動機には「幸せになりたい」という素朴な祈りがあったのです。
幸せになる絵画
●民画の無銘性
「民画」の中には、朝鮮時代の画員と呼ばれた宮廷画家たちの手になるものもあったようですが、多くの場合、伝統絵画の専門教育を受けながらも画員としての登用がならなかった絵師や専門の美術教育を受けていない画工によって描かれた作品です。
そして作品には作者のサインが施されていないものがほとんどで、柳宗悦は民画の定義としてこの「無銘性」を強調しました。
現在「民画」として認識されている絵の中にはあきらかにプロの手になり技術的にも優れた画格の高いものもあります。朝鮮民画(7)「花鳥図ー宮廷画家も描いた上手編」
「無銘」とは、言ってみれば作者が明らかにされないことですが、普段儒教的な束縛の強い宮中に働き、格式に則った絵を描くことを強いられた宮廷画家たちにとっては、銘すなわち自分の名前を書き入れないことは、自由な発想で楽しんで描けるチャンスだったはずです。
たとえどんなに有名な作家であったとしても、民画を描くときは「無銘」であるがゆえに、通常の作品よりも自由な色使いや斬新な構図や実験的な表現が可能になると思うのです。
■専門教育を受けた絵師による民画↑
一方美術教育を受けていない画工が描く民画は、たいてい稚拙な表現ですがそこに味わいがあります。現代のマンガのように思わず笑みがこぼれてしまいそうな滑稽さや解放感があるのです。
■専門教育を受けていない画工による民画↑
朝鮮民画(8)「花鳥図ー下手編(わくわくするパボ民画)」
朝鮮民画は全般的に、人間の常識を超越して突然どこからか出現したような造形が多く、既存の伝統絵画にはない神秘的で不思議な魅力に満ち溢れています。
民画の起源が民間信仰における宗教画から来ていると考えれば、どこか巫術的な力を感じるのも頷ける話です。
そこが柳宗悦の「直観」を刺激したのでしょう。
さておき、このシリーズは、李禹煥が監修した「李朝民画類別考察」などの文献を参考にし、民画が描かれた動機や意味を紹介しながらその魅力をお伝えしようとするものです。
学術的な分類というよりも民画の本質を理解し、読者が現代絵画との共通点を見出し楽しめる一助になればと願っています。
幸せになる絵画
朝鮮民画(2)「文字図Ⅰ(孝悌)」
朝鮮民画(3)「文字図Ⅱ(忠信禮義廉恥)」
朝鮮民画(4)「虎図」
朝鮮民画(5)「文房図(チェッコリ図)」
朝鮮民画(6)「花鳥図ー牡丹図」
朝鮮民画(7)「花鳥図ー宮廷画家も描いた上手編」
朝鮮民画(8)「花鳥図ー下手編(わくわくするパボ民画)」
朝鮮民画(9)「山水図―金剛山図」民画の本質
朝鮮民画(10)「花鳥図ー蓮華図」
「ラスコー展」洞窟壁画に見る芸術の本質
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この記事へのコメント
天使の羽根
民画に関して、韓国と日本の違いをコメントください。
RYOTA
タカ
ただ、朝鮮民画という表記はおかしい気がする。
明らかに、プロの作品が多いのであって、素人の作品は
1割もないだろうと思う。
朝鮮民画は日本の浮世絵みたいな位置づけではないか?
プロが名前を隠して小遣い稼ぎをしていたのだろう。
RYOTA
日本の浮世絵は圧倒的な筆力を持つプロの絵師たちが描いたが、それは風俗画の部類に入る。韓国でも金弘道(キム・ホンド)などが風俗画を描いている。