画家の箴言名言(9)ゴッホ「熱い魂の叫びに従った人生」

フィンセント・ファン・ゴッホの名言がWeb上で紹介されていた。その中のいくつかをRYOTAのコメント付きで紹介したい。言葉の原典は「ゴッホの手紙」からが多いと見受けられるが定かではない。前後の文脈もわからないので、切り取られた言葉に対して主観的にコメントしてみよう。

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「絵になる風景を探す必要などないのです。自然というのは、どんな場所でも美しいのですから」

さもない風景の中にいかに美を発見できるかが、画家の力量を決定する第一歩である。ゴッホは自然の中にいつも創造の力と愛を感じ取っていたのだろう。

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■フィンセント・ファン・ゴッホ「糸杉」1889年作 93.3 x 74 cm メトロポリタン美術館蔵
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「私は音楽のように心慰めるものを、絵の中で表現したい」

ゴッホは心慰めるものというよりは心ときめく絵画をあらわした。絵の中で燃える心情の炎が見る者の心をときめかす。


「毅然として、現実の運命に耐えていけ。その中にこそ、一切の真理が潜んでいる」

ゴッホが耐えた悲惨な現実がある。盲目的に愛した初恋の相手に手痛くふられるという失恋にはじまり、伝道師として生命を賭けた末にキリスト教会から首を宣告される、娼婦の母娘に対する哀れみによる同棲と離別、等々。

ゴッホは貧困や病気や愛が引き裂かれた心の痛みと悲しみに耐えた。耐え抜きながら人生の真理と真実の愛を勝ち取った。そして、生きることのよろこびの光を絵の具にねり込み、キャンバスに紡いだ。


「確信を持つこと、いや確信を持っているかのように行動しなさい。そうすれば次第に本物の確信が生まれてくる」

世の中の成功法は「意識」と「言葉」と「行動」であるが、まずどんな質の意識(確信)を持つかが人生を決める鍵となる。

ゴッホは自分の芸術に確信を持っていたに違いない。一方ゴッホは世俗的な成功という意識(確信)をもしかして抱いていたかもしれない。

にもかかわらずゴッホは世の中に認められなかった。その一見悲惨なゴッホの人生と、後世に絶賛される彼の栄光の絵画とを見くらべるならば、それは彼にとって不幸なことではあるが、彼の崇高な魂の意識が世俗的な意識に屈しなかったともいえる。

ゴッホの魂は、どん底に自らを追いやり、その中でこそ芸術に対する希望と喜びをの炎を抱くようにさせたのだろうか。


■フィンセント・ファン・ゴッホ「星月夜(糸杉と村)」1889年作 73×92cm ニューヨーク近代美術館
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「何も後悔することがない。そんな人生は空虚でしかない」

たくさんの失敗と後悔という経験は、まったく無駄なことではない。いやむしろ、そうした経験は、学びや気づきをもたらし、魂に進化をもたらす糧となる。逆に、罪悪感は人間を萎えさせる。

だから、もし後悔するようなことをしても罪悪感にとらわれてはいけない。ゴッホのように、失敗を怯れず情熱にしたがって前向きに生きていきたいものだ。


「たとえ僕の人生が負け戦であっても、僕は最後まで戦いたいんだ」

人生に勝ち負けなどない。あえて勝ち負けを問うならば、戦わないこと自体が負けだ。ゴッホは勝ち続けた。

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「自分の中に炎を持ち、魂を抱えているのに、どうして、閉じ込めておくことが出来ようか」

俗人による常識的な視点で自分が見られる閉塞感をゴッホは感じていたのだろうか。ゴッホの中で燃え盛る情熱の炎は、常識の殻まで焼き尽くした。


「あなたは、模範の奴隷になるな」

模範こそが常識の権化である。常識は人間の可能性を阻害する。ゴッホは模範的な人間の眼には狂人のように映ったのだろう。そんな偏見を乗り越えて模範の奴隷から脱した。


「偉業というものは、一夜にして成し遂げられるものではない。それはただ、小さなことの積み重ねによってのみ、成し遂げられる」

ゴッホは誰よりも偉業を成し遂げた画家として名声を得た。生きている時のゴッホはそんな自分を予測しただろうか。生涯、熱烈に画業を積み重ねて、気が付けば、ひとり天国へ旅立っていた。

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「直観力と想像力を、抑え込んではならない」

多くの場合、大人の常識に照らして「それはダメ」と言われて子供は育つ。そうやって小さな天才たちは次第に直観力と想像力を失いみんなと同じ人となってゆく。

幼い頃に「ダメ」と言われた経験から、大人になっても自分自身を無意識に抑え込んでしまう。そろそろ人類は本来の能力を発揮してゆく時がきている。


「生きている人が居る限り、死人も生きている」

ゴッホの芸術作品からは強烈な生命の光が放たれている。生命は永遠である。ゆえに彼の芸術もまた永遠に輝くだろう。芸術を芸術たらしめている要素は、物質的なものではなく霊的な要素なのだから。

物質を離れたところから見れば、つまり霊的には、ほんとうは死人などいない。肉体を持ちながら死人のような人は多いが。

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「大事は寄せ集められた小事によってなされる」

ゴッホの画業もいきなり出現したわけではない。こつこつと実践をしてきた結果に過ぎない。ただそのスピードが尋常ではなかっただけだ。


「常に悲しみを要求する人生に対して、僕らにできる最上のことは、小さな不幸を滑稽だと思い、また大きな悲しみをも笑い飛ばすことだ」

それこそが生きることの王道である。

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「何かをうまく語ることは、何かをうまく描くことと同様に難しくもあり面白いものだ。線の芸術と色の芸術とがあるように、言葉の芸術だってそれより劣るものじゃない」

小説や詩は言葉の芸術だが、美術評論もまた芸術となり得る。


「絵を描き始める前に、すでにそれは私の心の中に形作られている」

それこそが真の芸術作品が生み落とされる法則である。ミケランジェロ彫刻「ピエタ」美しきミーメーシス

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■フィンセント・ファン・ゴッホ「夕方のカフェテラス(アルルのフォラン広場)」1888年 81 x 65.5 クレラー・ミュラー美術館
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フィンセント・ファン・ゴッホ「種をまく人」
ボストン美術館展「ジャポニスム」モネとゴッホが惚れた日本美術

画家の箴言名言シリーズ
(1)棟方志功
(2)アンリ・マティス「デッサン・精神的光」
(3)ポール・セザンヌ「修行僧のごとく」
(4)パウル・クレー「嘘の無い絵画」
(5)平野遼「本物の光」
(6)パブロ・ピカソ「虚構の中の真実」
(7)高山辰雄「いのちに触れた筆」
(8)パブロ・ピカソ箱根彫刻の森美術館から


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