久しぶりに韓国の李重煕画伯とカカオトークで話をした。
こちらから小金井公園の夜の梅園の写真を送ったところ電話が来たのだ。
🔶小金井公園梅林夜景(3月13日撮影)
梅の花は夜によく香る。これを暗香という。暗いところでは臭覚が敏感になるのかはわからないが、古来東洋には「暗香(あんこう)」という言葉がある。
昔の詩人たちが詩中に用いたようだが、私は韓国東国大学の美大学長だった宋栄邦画伯の梅の絵の画中詩ではじめてその言葉を知った。
李重煕画伯のアトリエのある敷地は1万坪にもなる。
山の麓の土地を30年以上前に購入し、小川を治水して蓮池をつくり、木々を切ったり植えたりあるいは石を置いたりして、自然の丘陵を活かした見事な景観をそこに生みだしている。
画伯は、将来ここに自身の美術館と芸術家や文化人たちが集って交流できる空間を築こうという動機ではじめた。
広大な土地の草むしりは本人の日課だ。
庭園の中には苗木から植えて育てた梅園がある。ほとんどが白梅で、年々大きくなって今や咲き始めるとあたり一面に高貴な香りを漂わせる。
最初はビニールハウスの中にコンテナを入れて休憩場所としていたが、10年ほど前にレンガ造りのアトリエを建てた。アトリエが出来てからは、私の訪問の際にはいつも中にあるオンドル部屋に泊まらせていただいた。
李重煕のアトリエは、全羅北道の益山(イクサン)市のはずれの金馬(クンマ)というところにあり、近くには百済の文化遺産が発掘されている。
私は梅が咲く季節に合わせてよくここを訪ねたものだが、コロナ禍で2年以上も訪れていない。
🔶梅花が咲くころ
真夏に一度朴芳永画伯と一緒に行ったことがある。
夜中に李重煕と3人で、庭園の中の石のテーブルと椅子に腰かけながら、ぼんやりとした月明かりのもとで語りあかした。芸術と真理について。内容はとりとめのないものだったが貴重な時間だった。
語り合っている最中に、繁みから小さな灯りが一つ二つ三つと点滅しながらゆっくりとこちらに近づいてきた。気が付くと、たくさんの小さな灯りに周りを取り囲まれてしまった。
蛍だ。
敷地内か近くの渓流から生まれて飛んできたのだろう。
それまで生きてきて、自然の中でこんな幻想的な光景を見たのは初めてと言ってもよいくらいだ。
生きていれば難しいこともあるが、美しいものに触れるよろこびは人生の疲れを癒してくれる。
美しい芸術作品は、自然や世界からインスピレーションを受けて、そこに人間の創造性が働いてあらわされたものだ。作品を生み出す芸術行為は、自然の「美」に啓発された人間の「愛」の衝動によって為される。つまり創造の原動力は愛だ。
鑑賞もまた第二の創造であるからして、愛が伴う。
芸術を楽しむ瞬間は誰もが人間らしく生きている。
●珍島犬「アロン」
李重煕のアトリエのある敷地では、何匹か犬を飼ってきた。画伯の場合、ペットとしてかわいがるというものではなく番犬としての実用で飼っていた。
その中に珍島犬で李画伯がアロンと名付けた雄の犬がいた。
アロンのように血統の正しい珍島犬は国の天然記念物だ。
アロンは幼犬の時に連れてこられたのだが、私も年に何度かここを訪れながらこの犬の成長を見てきた。
特段ブリーダーから教育を受けてきた犬ではないようだがあまり吠えることがない。かわいがるとしっぽを振ってよろこぶものの、おとなしくそこにいて遠くを見つめる姿には幼犬らしくない落ち着きがあった。またその表情はどことなく孤独感をかもしていた。
アロンは、オスとメス2匹のドーベルマンと一緒に育っていった。当初3匹とも成犬になる前のやんちゃな時期で、じゃれ合っていると体の大きなドーベルマンにいつも組み伏せられていた。
しかし、いつの間にかドーベルマンより、この珍島犬の方が力が強くなって相手を負かしていた。
アトリエのある敷地は山の麓にあたり、時折山から「ノル」という鹿の仲間が降りてくる。私も一度つがいのノルをここで見かけたことがあるが、人間を見かけるとすぐに逃げ出してしまう。警戒心の強い動物だ。
このノルをアロンが狩猟したことがあると李重煕から聞かされた。1万坪の敷地内で夜は放し飼いにされていたが、木陰に潜んで襲いかかったのだろう。まるでオオカミのように。
●アロンの矜持
アロンは人間に飼われてエサは与えられているので、捕食の為の狩りではない。彼の場合、狩猟行為はおそらく遊びではないかと思われる。それは遠くオオカミだったころの野生の血が騒ぐからなのだろう。
アロンは人間に媚びない。私がそれを感じたのはアロンがまだ幼犬のころだ。
ある日アロンが私の近くをウロウロ歩き回っていた。私の手には食べ物があるからだ。アロンはお腹を空かしていたのだろう。
しかし、鼻を鳴らすわけでもなく吠えるわけでもなく、ただ近くにいるだけだ。
私がエサをあげるために呼ぶと目の前にきて座った。手でエサを口の近くに持っていくのだが顔をそむけてけっして私の手からは食べない。
そこで、地面にそのエサを置くと食べた。
なんどやっても私の手から直接には食べず地面に置くと食べる。ドーベルマンはあっさりと手から食べるのだが、珍島犬のアロンだけは下に置かない限り絶対に食べない。
それを李重煕に話すと、「珍島犬は主人以外からは食べない」と言っていたが画伯は普段から自分の手でエサをあげたりしない。また、他のところの珍島犬が直接手から食べるのを見たことがある。
アロンは幼犬の時でさえそんな感じだったので、成犬になるにつれ、次第に堂々とした風格のようのなものをそなえていった。
今回のタイトルは「アロンの矜持」だ。
犬に「矜持(きょうじ)」などという言葉を使って・・・と思われる方もいるかもしれない。しかしアロンを見ていると犬にもプライドはあると感じる。
むしろ目の前に差し出されたお金に尻尾を振る人間よりも誇りが高いような気がする。動物はエサで操る。悲しいかな人間はお金で操られる。
アロンはいわゆる武士のような犬だった。
それはこの犬のDNAに刻まれていたのだろうか。きっと先祖は群れの中の将軍だったに違いない。
放し飼いにされていた彼は頻繁に外にまで出るようになり、しばらくすると必ず戻ってくるのだが、いつの日か帰ってこなくなった。誰かにさらわれてしまったのだろうか・・・わからない。
李重煕からアロンがいなくなってしまったことを聞いたときは言いようのない淋しさを覚えたものだ。
私は今でも時折アロンのことを思い出す。
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