川端康成が運命のように出会い高額の借金をしてまで手に入れた美術品が、浦上玉堂の「凍雲篩雪図(とううんしせつず)」である。
■浦上玉堂「凍雲篩雪図」(国宝)
もう一つ、川端がこよなく愛した画家が池大雅。大雅の手になる画帳「十便図」を入手するために家を買うのをあきらめたという逸話がある。与謝蕪村との共作「十宜図」と合わせた「十便十宜図(じゅうべんじゅうぎず)」である。
「十便十宜図」は隠遁生活の便利なことと宜(よいこと)を絵にしたものだ。
■池大雅「十便図のうちの釣便」(国宝)
■与謝蕪村「十宜図のうち宜冬」(国宝)
ここにあげた文人画は川端康成が購入してから後に国宝に指定されている。
「凍雲篩雪図」と「十便十宜図」は、現在川端記念館に所蔵され、普段掛けられることはないものの、各地の美術館企画に貸し出されて展示の機会を得ている。
今回は、NHK番組「極上美の饗宴」を視聴して書いたものだが、この玉堂と大雅の絵が川端康成の心に何をもたらしたかを探りたい。
●コレクター川端康成
医者の家系に生まれた川端康成は、幼くして両親を失い、姉に次いで祖父が他界すると15歳にして天涯孤独の身になった。彼が心を慰められたものが美術品だ。
日本で最初にノーベル文学賞を受賞した文豪であることは誰もが知るところだが、古美術品のコレクターとしても有名である。
コレクターと言っても、川端の場合は、ただお金があって古美術が好きだから蒐集するのではない。確かな審美眼を持ち、一点一点の作品から感じ取る深度が違った。
川端は「何でも買うつもりで見るのはただ見るのとは違うようだ。生気が動く」と語っている。
「生気が動く」という言葉は、水墨画を描くにあたっての極意である「気韻生動」を鑑賞者として体験したところから語られたように思う。
「気韻生動」は中国5~6世紀南北朝時代の画家謝赫(しゃかく)が著した「古画品録」の中に出てくる「画の六法」の一つであり、六法の中で最も重視された。
「気韻生動」とは、天地に脈動する生命エネルギーが作品の中に息づいているとでも言おうか。「気韻」の論理的な正体はともかく、それは鑑賞において感じ取ることができる。
画像でもTV画面を通しても気韻は瞬時に感じられるものだ。それなりに。
ところが私は、はじめて「凍雲篩雪図」を見た時、川端康成が感じ取った気韻生動を感じるに至っていない。とは言っても、私が目にしたのは実物ではなく本の中のモノクロ写真に過ぎなかったが。
今から30年ほど前になろうか。水墨画や文人画の鑑賞の勉強をし始めたころに本の中で「凍雲篩雪図」の写真を見た時、なぜこれが国宝なのかと理解に苦しんだことを憶えている。描線の妙もわからなければ作意に触れることもできなかったのである。
次第に文人画を味わえるようになってきたが、いつかは「凍雲篩雪図」の実物と時間をかけて対峙してみたい。できればガラス越しではなく。
絵に漂う気韻を自らのうちに噛みしめて味わってみたいと思うのである。
水墨画に限らないが、芸術作品を深く理解しようと思えば鑑賞者にも能力が問われる。作品から芸術性を感じ取るには相応の審美眼が求められるのだ。それは知情意の蓄積された総合力である。
●買うことが目を育てる
川端康成は心惹かれる古美術品に出会うと、小説の原稿料を前借したりしながら買ったという。「凍雲篩雪図」に至っては銀行から大枚を借金して購入に至った。
この「お金を出して買う」という行為は、審美眼を高めるための方法としては、最も有効な手段の一つであると私は思う。
「何でも買うつもりで見るのはただ見るのとは違うようだ。生気が動く」という川端の言葉が端的にそれを示している。
「衣食住」を満たして生きるにはお金が必要だ。そのお金を稼ぐということにはその人の才能や叡智や労力が伴う。
何かに「お金をかける」ということは、極端な言い方をすれば、その金額に見合った「我がいのちをかける」ことに等しいのである。
お金を何のために「使う」のかは自由だが、たとえば「困っている人に施す」のは尊い行為だと言えるだろう。勉強や芸術鑑賞のために使うこともまた尊い。それは精神の深い部分にまで浸透する養分になるからだ。
言い換えれば、そうしたお金の使い方は「自分の魂に対する投資」にほかならないのである。
●芸術の奥深さに触れる
川端康成の元担当編集者であった伊吹和子さんが番組で川端の美術品に対する鑑賞態度を以下のように語っていた。
「作ったひとの魂と対話してらっしゃるよう。そのものを透かしたずっと奥にあるものを見るようにしてらっしゃる・・・」
本物の芸術作品は奥が深い。
「美術品を購入することは作品にいのちを投ずるに等しい」・・・とは不肖この私の言葉だが、川端康成は「いいものに出会うと自分のいのちを拾ったような思いがある」と語っている。
さらに「古美術を観るのは、趣味とか道楽ではなく切実ないのちである」
彼の古美術コレクションはいのちの糧を得るためのものだったのだ。蒐集品によって心が救われ生きるための力を得ていたのだろう。
●補ってくれる絵
川端康成がこよなく愛した画家に池大雅がいる。
■池大雅「瀟湘勝概図屏風」(重要文化財)
「大雅の絵はしばしば私の心の鬱屈、閉鎖、沈頓、愁傷をおおらかに解きひろげ、やわらかになぐさめなごめてくれた」
「大雅の絵には私と違って日本人の悲しみがないようだ。私は明るくやわらげられ、豊かにひろげられる」
川端は晩年自ら命を絶っている。そうしたことからも、鬱屈、悲しみと言った彼の言葉は素直な自己分析から出たものなのだろう。その彼の悲しみを癒してくれたのが池大雅の絵であったのだ。
大雅の絵は明るく大らかである。それが川端康成の心の不足感を補った。
美術品が人々の内面にもたらす相補性である。
しかし、相補性は相似性から来る。二つの間に共鳴が起こる原因となるものは相対基準である。相対できる要素がなければ共鳴は起こらない。
自分の中に本来無いものは補えない。したがって大雅の明るさや豊かさは、本来川端の中に確かにあったはずだ。ただ、普段は自分にはないものかのように潜んでいるだけなのだ。
川端は2歳までに両親を失ったが、幼児のときに受けた親の愛がしっかりと彼の魂に刻まれていたに違いない。
でもその愛は足りていない。足らないから何かで補いたい。そうした潜在意識の疼きを大雅の絵が癒しなぐさめてくれたのだ。
大雅の絵を観るとき、川端は母親の懐に抱かれているような感覚であったのだろうと私は思う。
●寄り添ってくれる絵
一方、浦上玉堂の「凍雲篩雪図」は冬の凍てつく空に篩(ふるい)にかけたような粉雪が舞っている。
この絵に川端は「日本風の悲しみがある」と語っている。
この絵の悲しみや淋しさは、彼が常に自覚している自身の似姿ではなかろうか。
大雅の絵とは真逆の一見厳しい玉堂の「凍雲篩雪図」だが、厳しさの奥に繊細なやさしさがある。それも川端自らの内なる似姿であり、さらには2歳で死に別れた父親の似姿なのかもしれない。
玉堂の絵は、大雅の絵のように補ってくれるというよりも、悲しくも美しい素の自分を飾らずそのまま映し出して見せてくれていたのだろう。
だからこそ、「凍雲篩雪図」は彼を理解し彼の魂に寄り添ってくれるのだ。
「やわらかになぐさめなごめてくれる」
こうした古美術品の名品の数々が川端康成のもとに多く集まったのは、互いの魂が惹きあって繋がれた結果だ。ある意味では美術品が自ら行くべきところを選んだ結果である。
私は誰かの美術品のコレクションを見ると、その人物の魂の様相をみるような思いになり、時に、畏敬の念をおぼえる。
■浦上華琴「琴士玉堂肖像」
※息子である浦上華琴が父玉堂を描いた作品。玉堂は自らを琴士と呼び7弦の琴まで制作している
■池大雅「十便図のうち課農便図」(国宝)
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