●古代の洞窟壁画
人間と動物との大きな違いは、一つには芸術作品の創作と鑑賞が出来るということです。
ホモ・サピエンスつまり現在の人類の祖先の芸術として、約1万8千年前に描かれたアルタミラやラスコーなどの洞窟壁画が有名です。それらは現代の画家が見ても驚くほどの技術で描かれています。
彼らが描いたのは主に野牛や鹿などの狩猟の対象動物でした。
■アルタミラ洞窟
彼らがなぜそんな絵を描いたのかと言えば、一つには「狩猟の成功」を願ったことにあると考えられています。
人類は生命を宿した様々な動植物を捕食することで生き延びてきました。
日本語の「いただきます」は、まさに「お命いただきます」の意味です。自分たちが生きるために生命を取り込むのです。そうしたことを普段から自覚していれば食物に対してもっと感謝の念を持てるのかもしれません。
絵を描いたり見たりするときに人の情が動きます。
洞窟の壁に動物を描くときに「狩猟の成功」に対する願い込めていたとすれば、それは古代の人々が生きるために超常的な力に頼ろうとする祈りでありました。つまり彼らにとって絵を描くことは神聖な行為なのです。
●古墳の壁画と朝鮮民画
我が国の高松塚古墳やキトラ古墳の棺が置かれた部屋の壁画に描かれていたのが「四神図」です。
■高松塚古墳「白虎図」の日本画家による模写デッサン
これは高句麗(現在の北朝鮮から中国北東部一帯)の古墳群に描かれている絵と同じものです。
これらは死者の魂を守るために「辟邪」つまり魔除けを目的に描かれました。
また、朝鮮時代500年の間によく描かれた絵画に「朝鮮民画」があります。民画は「辟邪招福」の動機で描かれ、王侯貴族から庶民に至るまで実に幅広い人々に飾られました。
王室や両班などの貴族は、「画員(ファウォン)」と呼ばれた当時の宮廷画家たちやプロの絵師たちが描いた民画を飾りました。
庶民は、素人絵師である放浪画家が村々を歩き、村人たちのリクエストに応えて描いてくれたものを飾りました。放浪絵師の絵は安価でしたので庶民の需要に応えることができました。
そのリクエストは主に人々の現実の問題を解決してくれるようなテーマが多かったようです。
民画の題材としてよく描かれたものに「虎」があります。これは「邪気を祓う」あるいは家を守るものとして飾られました。また子供が出来ない家には「柘榴」を、科挙の試験に受かり立身出世を願うなら「魚」を、子女の教育の為に「文字図」や「文房図」を飾りました。
■民画「虎と鵲」
絵師たちは注文者の願いを聞き届けてそうした事物を描きます。つまり民画を描くことも飾ることも、それは「辟邪招福」の素朴な祈りでした。
人知を超えた力(エネルギー)を獲得しようとする祈りなのです。
●現代の成功法
「引き寄せの法則」や「ポジティブシンキング」といった成功法が現代に生まれていますが、それは私たちの「意識」の持ち方に及んでいます。
その根拠となるメカニズムは、現代科学の量子力学です。人間の意識のエネルギーが物質(現実)に作用するというものです。
SITHホ・オポノポノも見方によっては成功法の一つです。ホ・オポノポノはハワイに古来から伝わる「呪術」を現代科学の視点で誰でも利用できるように作り上げたものですが、もともとは呪術です。
私たちの現実の原因となるものの要素は様々にありますが、「顕在意識」よりも「潜在意識」の方が強く働くようです。
たとえばポジティブシンキングなどは顕在意識から潜在意識に落とし込まれてこそ効力をはっきするのですが、それがまた容易ではない。なぜなら膨大な記憶の貯蔵庫である潜在意識の中味を我々は知る由もなく、ましてやコントロールすることなど難しいからです。
ホ・オポノポノでは、潜在意識の記憶をクリーニング(浄化)することを主張し、その方法を教えていますが、そのとき「自分の潜在意識の中にどんな記憶があるかを知る必要はない」と言います。記憶の何が作用しているかを特定することなど出来ませんから。なのでひたすらただクリーニングしなさいと言うのです。
ホ・オポノポノにおいては、究極的にはマナ(ハワイ語で神が使うエネルギーという意味)によって、潜在意識の中の記憶を浄化するというものです。その結果として現実の問題が解決されるわけです。
●絵画の呪術性
「呪術(じゅじゅつ)」を辞書で引けば『超自然的・神秘的なものの力を借りて、望む事柄を起こさせること。まじない・魔法など。』とあります。
この超自然的な力はたしかに存在するなんらかのエネルギーで、呪術はそれを操ることです。
古代アルタミラなどの洞窟や東洋の古墳に描かれた絵画は、先述したような呪術性がありました。また、朝鮮民画や縁起物の招き猫や魔除けのための鬼瓦などもまた、呪術的な役割を求めて作られ飾られてきました。もちろんインテリアとしての楽しみを求めて飾る人も多いのですが。
韓国の民間信仰でムダンと呼ばれた巫女が霊的役事を為すときに絵を飾ったりしました。
また、現代のカナダで「ヒーラー」の仕事をしているという女性からアメリカのベニー・アンダーソン画伯にEメールで作品の問い合わせがありました。「私のガイド(霊的守護的存在?)が私をあなたのHPに導いて、そこに載っているこの絵が私のようなヒーラーの仕事に必要だと言うのです。」とあったそうです。
■ベニー・アンダーソン「Rebirth」
これらに対してここで詳しく掘り下げることは避けますが、これも「呪術」です。
ちなみに金運を願い金色や黄色の財布を持つのも呪術的な行為と言ってよいでしょう。
絵画の呪術性は、絵画そのものが持つ(たとえば気のような)エネルギーが作用することもあるでしょうが、絵画が人間の精神や(潜在)意識に影響をあたえることが大きいのではないかと私は思っています。
人間は「この願いを成就させたい」、「悪い現実を良く変えたい」、とよく心に思ったり祈ったりしますが、ある意味でその「思い」や「祈り」を形にしたものが絵画なのです。
時代や場所によって様式的な違いがあったとしても、絵画の呪術性は、古代から現代に脈々と受け継がれてきました。つまりそうした絵画を描くことも飾ることも「幸せになりたい」という素朴な祈りなのです。
●絵画は気休め
自分に負の現実があればそれを変えたいと思うのが人情です。人それぞれ様々な苦悩もあれば願い事があるものです。
「お金もちになりたい」「子供が欲しい」「夫婦親子の仲がよくなりたい」・・・こうした願いを支えてくれるような象徴的な内容を持った絵画もあります。
たとえば「つがいの鳥が愛らしく寄り添っている絵」があるとします。それを見る人によっては夫婦愛を感じたりします。「こうありたいな」と思ってその絵を家に飾ることで、絵が家人の潜在意識に影響をもたらしてそうなっていくということは往々にしてあります。
当然、願いが叶う人もいれば叶わない人もいます。理由は様々です。
ただ、私は、そうした願いを心に抱いて絵を飾ることは、極端な言い方ですが「気休めにすぎない」と思っています。でも、この「気休め」がとても重要なのです。
まず、「気が休まる」ということは、既に絵画を飾ったことによる重要な目的を一つ果たしているのです。
●成功法の落とし穴と対処法
世の中の成功法でも、強く決意したり頑張りすぎる人は、逆に潜在意識に反作用として「ネガティブな意識」を生み出してしまうといいます。
たとえば「必ず10億円を当てるぞ!!」と鉢巻して目を吊り上げ決意して宝くじを買っても、潜在意識の方は「どうせ当たらねえよ」と言うのです。かつて当たらなかった体験の記憶は潜在意識の中にトラウマのごとく仕舞われていますから。
頑張りすぎる人は、逆風が強かったりします。自分の成功への強い観念が、逆にそれを妨げる現象を引き寄せるのでしょう。
「どんな逆風がきても負けないぞ」という強靭な意思があるならば頑張り続けてみるのも悪くはないでしょうけど・・・
ただし、決意しすぎる、頑張りすぎる人は心がそれに捕らわれてしまいがちです。結果を自分で主管しようとします。そこに落とし穴があります。
もし超常的な力が自分の願いに応えてくれるとしても、どのような方法で応えるかはわからないのです。もしかして遠回りに見えたり、逆に悪くなったように見えたりすることがあります。
では、逆風にあったときにどうしたららよいかと言えば、「委ねる」ことです。また、願っていることと逆の結果を見ても「感謝」することです。ネガティブな現象も無駄なことだと思わず、それを受け止めてひたすら感謝するのです。
●気休めでありなさい
これまで述べてきたように、もし自分の願いが描かれているような絵を買って飾っても、けっしてその結果を強く求めすぎないでください。強く押せば反作用の力学が強く働きますから。
絵画は気休めに過ぎないのです。その絵を見ながら心をゆったりさせて、絵画の内容が自分の現実であるかのように眺めるのです。なんなら絵の中に入って遊んでください。
これが絵画に呪術性を求めたときの最適な鑑賞法です。
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